伝説の池「鏡ヶ池」の草刈り
とんぼprojerctが、田植え、草取り、稲刈りなど棚田での米づくりでお世話になっている松之山農業担い手公社の樋口一次さん。一次さんのお住まいの中尾集落には、松之山の松山鏡伝説の池「鏡ヶ池」があります。今日は、公園になっている鏡ヶ池周辺(鏡ヶ池公園)の草刈りにとうど(手伝いのこと)として参加しました。暑さがやわらぐ16時から1時間。その後地域の皆さんと焼き肉交流会というスケジュール。天水越方面で鳴り出し雷鳴を合図に一斉に草刈り機にスイッチが入り、みるみる内にきれいになっていきます。その刈った草を集めるのが仕事。暑さでへばり気味の私をよそ目にもくもくと働くおじいちゃん、おばあちゃん。母ちゃん、父ちゃん、子供たち。特に松之山のとしょり(お年寄り)は本当に元気です。 心配した雨降らずに1時間ですっかりきれいになりました。(私は汗びっしょりです。)
少子高齢化が進む松之山。中尾集落も例外でなく、昨年から約10人減って52人とのことです。集落の皆さんが長年守る続けてきたこの歴史と自然豊かで素晴らしい生態系残る鏡ヶ池を未来の子供たちに残していくか課題です。
○松山鏡
『万葉集』の歌人大伴家持が、蝦夷征伐失敗の罪で越後に流され、松之山の中尾に来た。家持は篠原刑部左衛門と名前を変えて、中尾の鏡ヶ池のほとり住んだ。
家持には京子という娘があった。母は病気にかかって死亡する前に、京子を枕元に呼んで、「京子や、あなたに私の形見としてこの鏡をあげましょう。この鏡は、私が都にいた時から大切にしてきたものです。もし母さんを恋しく思うときがあったら、この鏡を出してみなさい。きっと若いころの母さんに会うことができるでしょう。」と言った。
京子は母の死後、寂しくなると母のこの言葉を思い出しては鏡を見、自分を見つめてくれるやさしい母の顔に慰められていた。ところが、しばらくすると、京子の身の上にいっそう悲しいことが起きた。それは家持の後妻で京子の継母となった人が、京子につらくあたることだった。京子は継母にかくれて鏡を見て身の不幸をなげいた。継母は京子の独り言を怪しみ折檻した。
ある日京子は、継母の折檻に堪えきれずに鏡ヶ池のほとりに来て泣いていた。そして池の水面を見ると、悲しげな母の顔が浮かんでいたので、京子は思わず、「お母さん!」と叫んで鏡ヶ池に飛び込んでしまった。
この様子を屋敷の庭で見ていた継母は、驚いて村人を呼び集めて京子を救おうとしたが、京子は池の底深く沈み、ついに死体を見つけることができなかった。やがて京子が沈んだ辺りに浮島ができ、毎年紅水仙の花が咲くようになった。京子の鏡の裏に紅水仙の彫刻があったことから、この紅水仙を京子の化身だと伝えるようになった。
なお、現在小高い丘の地名に刑部屋敷が残っている。また家持が散策した場所と伝えられる御寮つるね(ごいんつるね)も地名として残っている。
出典「松之山町史」

